ます’s Blog - どうでもいい記事100選

どうでもいい記事100選

誕生日

本日をもちまして28歳になりました。
(個人的には)今までの誕生日とは違って今日の誕生日は特別な一日です。凄く感慨深い。

  • 「高校を卒業したら大学行かずに絶対にスグ働こう!」と決心したのが12歳(小学校六年)
  • 「東京へ行こう!東京に行けば、この状況は変わる」と決心したのが16歳(高校一年)
  • そして10年前の今日!(勤務地が東京と書いてあるモノの中から)就職する会社を選定したのが18歳(高校三年)

あれから10年。10年前の自分は今の自分を見たらどう思うだろうか。
「よく頑張った!」と納得してくれるだろうか。「そんなんじゃなかった」と絶望するだろうか。
ともあれ10年、絶望の状況下の中、現状を変えようと必死に、世の中には自分より大変な人は一杯いるんだから甘ったれた弱音は吐くな!と(何故かカンボジアの難民を頭に思い浮かべながら)自分に言い聞かせつつ、歯を食いしばりながら、周りを振り回しながら、様々な失敗を繰り返しながら、アレじゃないコレじゃないと試行錯誤しながら前だけを見て、後ろは決して振り返らずに自分自身(全力疾走で)走り続けてきたと(自分では)思う。
時には状況に耐え切れず逃げ出してしまったり、大事な友達も(自分のせいで)疎遠になってしまったり本当に死んでしまおうかと自暴自棄になった時期もあったけど、なんとかやってこれた。
結果はどうであれ、頑張ってきた事には後悔は無い。だから「思っていた結果にはならなかったかもしれないけど、理想に少しでも近づけられるよう必死に頑張り続けてきたから勘弁してよ」と10年前の自分に対して言いたい。少なくとも「頑張ってきた10年間」に対しては(よく分からない)誇りを持っています。


約10年前、新幹線で東京に行く時に姉が見送ってくれたけど、その時、姉は泣いていたのだが、当時の自分は姉が(何故)泣くのかが理解できなかった。
数年前、弟が無くなった時に7年ぶり?くらいに実家(九州)に戻って、新幹線でまた東京に戻る時、今度は自分が泣いてしまった。
その時(初めて)あの時、姉が(何故)泣いたのかを理解できた気がする。そういう事か。
姉は自分が東京に行く理由を知っていたので、改めて悪かったなぁ。。。と思う。
同じ状況下でずっと過ごしてきた訳だし。自分は、それが嫌で逃げたんです。
弱い人間だったんです。もう、全て毒を吐き出してしまおう。
自分が4歳くらいの時に両親は離婚して、父親の元で(貧困を通し越した)あり得ない生活をさせられてきたので、今でも父親に対しては憎悪の念しかありません。
が、「それはそれ」と、最近は思うようになりました。憎み続けても仕方が無いし、自分も自身の生活がある訳だし。
ま、父親は父親なりに精一杯努力してたのかもしれませんけどね!自由人だったけど。ただ、俺は絶対に許さん。
顔を思い出すと今でもイライラします。話もしたくはありません。なので(当分)実家には戻るつもりはありません。早く死んで欲しい、とさえ思ってしまう時もあります。
(最近)憂鬱なのは、自分の顔が段々父親に似てきた事です。こやつは俺が棺桶に入るまで十字架を背負わすつもりなのか?と鏡を見る度、嘆いてしまいます。
母親にも会うつもりも(今のところ)ありません。お互い色々事情があったんだろうけど、責めまくりそうなので。
一応、弟が無くなった時にも電話で連絡したみたいだけど、結局来なかったしね。父親や姉や俺が(今)無くなっても(きっと)来ないんだろう。
性格が歪んでいるのも、意味も無く笑っている人に腹が立つのも、甘ったれた人を見るとイライラするのも、常に冷めているのも生活環境のせいだ!と勝手に思い込んでいますが(もしかしたら)生まれ持った性格かもしれませんね。:-P
(きっと)みんながうらやましかったんですよ。やっかみ、みたいな。
ただ、10年経っても(色んな事に対しての)飢えは満たされない。。。満たされる日は果たしてやってくるのだろうか。


あるふぁさんの日記(mixi)で「28を過ぎたら、誕生日は祝ってもらう日じゃなくて一年間支えてくれた人々に感謝する日です。」と書き込みがあったんだけど、凄く感銘を受けました。
数年前までは「自分一人がやっきになって頑張ってた」と勝手に思い込んで嘆きながら生きてきたけど、実はそうじゃなくて自分を支えてくれた人が一杯います。恥ずかしながら、最近、気がつきました。
周りを振り回しながら、自分自身(全力疾走で)走り続けてきた自分に対して、時には迷惑を被りつつ、時には意味不明の叱咤を飛ばされ、それでも真摯に意見を受け止めてくれて支えてくれた人が一杯います。感謝の気持ちを忘れず、関係を大事にしていこうと思います。
これからの10年間は「感謝の気持ち」を人生のテーマに、後悔しないように、理想に少しでも近づけられるよう目標を見失わずに夢に向かって走りつづけていこうと決心した一日でした。
最近、全力で走りきれなくなってきたので、お気楽、極楽モードでマッタリと走るつもりでいますが。(w


余談。10年前の今頃は学校のトイレ内でタバコ吸ってたのが見つかって無期停、食らってた時でした。(w
何故、教室内で吸っていたのがバレなかったのが不思議なんだけどなぁ。。。頻度は圧倒的に教室内が多かったのに。
たまにはトイレで、って選択したのが最大の敗因?
そんな事はさておき、高校の時の担任だった酒井先生には凄くお世話になりました。
当時は2時間30分くらいかけて高校に通学していたので、先生に「高校は卒業したいんけど通学時間が長すぎるから無理」と切実に訴えたら、先生は(毎日)自宅に車で迎えにきてくれました。
(先生は家の事情を恐らく知っていたので)余計に気を使ってくれたのかもしれないけど、当時は「かまってくれる」事が凄く嬉しかった。後、友達だった太一。
今考えると先生にそんな事やらせるなんて「お前、ありえない!」と思うんだけど、先生と太一が居なかったら今ココにはいないと思う。
今度、実家(九州)に戻る事があったら、感謝の気持ちを改めて伝えにいこうと思います。いつ戻るかは不明ですが。


10年後の自分はどんな事になっているんだろうか。想像が全くできない。とても楽しみだ。